豪農の館(北方文化博物館) (新潟)
越後の大地主の伊藤文吉氏の旧日本邸。
明治15年から8年の歳月をかけて造られたそうです。
その邸宅を博物館としたのが、北方文化博物館です。
敷地は想像もつかない、なんと8,800坪。
建物も迷子になりそうな1,200坪。
部屋数は、65部屋の純日本式住居。
敷地の周りは、土塁に塀を建て、濠をめぐらしています。
まるで、大名屋敷のようです。
特に、土蔵造りの門や総けやき造り唐破風の大玄関など、百姓とは思えない豪華さです。
豪農の館(北方文化博物館)
新潟駅から南東へ20km程、阿賀野川の近くにその大邸宅はあります。
新潟市ではありますが、市街地からはちょっと遠いです。
現地に着くと、石の門柱に茶色の板塀が続く邸宅でした。
門内には巨大な松の木、手入れされた庭があります。
ここだけでも十分に広いのですが、ほんの一部。
(僕の家だったら、ココだけに何十件立つんだろう)
ここは、大名屋敷か? お寺か?
勘違いしそうな空間がそこにはあります。
奥に進むと、目隠し用なのか石垣の壁があり、その奥に土蔵造りの門が現れます。
「やっぱり、ココは大名屋敷だな」 なんて独り言。
門を潜ると受付があります。
入場料は800円。
観光バスできた団体客も多く、おっさんやおばはんが群れてましたが、敷地が広いので気にもならないかな。
でも、おっさんの集団とすれ違うと、酒臭い。
受付を抜けると、さらに洗練された庭園が現れます。
奥には、それはでかい邸宅が・・・。
門のすぐ脇には、『石造物』 何体か並んでいる。
この邸宅には、不釣り合いのような気もしますが・・・
もちろん邸宅内部に入る事ができます。
裏口のような所から内部に潜入。
「うわぁ〜、ひろぉ〜。天井たかぁ〜!」
入口のすぐ側には、ひろ〜い台所があります。
「わぁ〜、台所だけで俺んちより広い。」
当時使っていた食器や調度品など展示されています。
1つ1つがでかい!
画像の手前に米俵が写ってりでしょ。 (60kg)
毎朝、この1俵(60kg)を炊いたそうです。
だって、当時は、番頭・女中・大工・人足・石屋・鍛冶屋・瓦職人など、家族の他に60人程の使用人がいたらしい。
毎朝1俵もすごいですが、鍛冶屋や瓦職人もいたんですね。 すごいなぁ〜
邸宅内には、使われていた有田焼や九谷焼などの器も数多く展示されています。
見た限り、キズ無しの大皿ばかりです。
『なんでも鑑定団』 では、いくらの値がつくんだろう?
なんて事思いながら見てました。
茶の間もありますが、三間続きの茶の間は、開け放すと37畳もあるそうです。
茶の間にしては、広すぎだよね。 (落ち着かないなぁ)
南側の廊下の長さは、なんと60mだそうです。
う〜ん、何事もけた違いだ。
さらに奥に進むと、大広間があります。
なんと100畳敷の大広間です。
座敷の欄間のならびには柱が1本も無く、上から釣ってあるので釣欄間と呼ばれているそうです。
この大広間が使用されたのは、冠婚葬祭等の年に数回の特別な行事の時だけ使ったそうです。
大広間には、総けやき造りの唐破風の玄関があります。
まあ、豪農とはいえ、これだけの物をよく建てたもんだ。
何事も桁が違いますね。
また、大広間から見る庭がすごい。
京都の名園にも負けない庭園です。
大広間の廊下から、長時間眺めている人も多かった。
母屋の他には、もちろん蔵もある。
三角形の茶室、三楽亭もある。
中庭には、藤の大木があり5月半ばが見頃です。
米どころの新潟。 豪農とは言えすごい邸宅でした。
もともと、初代の文吉さんが20歳で、約13,000平米の畑を与えられ、一人の百姓として分家したそうです。
住んだ家は、六畳二間と二坪の台所がついた小さな家。
文吉さんの奥さんは紺屋の娘で、文吉さんは藍の商売も始めました。
若い夫婦は、お金が貯まると畑を買い足し、商売も繁盛したそうです。
やがては、家を建て替えて蔵を造り徐々に豊かになっていきました。
五代目の文吉さんの時には、29ヶ村に122町歩余(122ha)を所有するまでになったそうです。
そして、五代目の文吉さんの時に、この大邸宅が建てられたそうです。
まあ、何でもコツコツと真面目にやる事なんでしょうね。
豪農の館へのアクセス&見学料
【見学料】
大人 800円
高校生 700円
中小学生 400円
【時間】
(4月〜11月) 9:00〜17:00
(12月〜3月) 9:00〜16:30
【アクセス】
JR新潟駅 車で20分
JR信越本線 「新津駅」 車で10分
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