武士の始まりは自警団
ところで、『墾田永年私財法』って、覚えてる?
そう、そう、「開墾した土地は、自分の物にして良い」ってやつね。
でも、必死の思いで開墾しても、力の強いヤツに奪われちゃう事もあるでしょ。
この頃は、庶民を守る『警察』なんて無いから。
まっ、警察的な部署はあったが、庶民の役には立たない。
そこで、どうやって開拓した土地を守るか庶民は考えたねぇ〜
結果、開墾した土地を貴族や寺、神社なんかに寄付する事にしたんだ。
つまり、貴族や寺、神社の『荘園』に入れてもらい、守ってもらう事にしたのね。
『荘園』なら『不輸の権』『不入の権』があって、税金はかからないし、役人も立ち入らない。
農民は、『荘園』の管理人として自分の土地を耕していけば良かった。
もちろん、お礼として、貴族や寺・神社には、収穫の一部を『年貢』として納めてたけど。。。
それでも、土地や財産を狙う盗賊や野党はいたから、最後は自分で自分を守るしかないでしょ。
だから、だんだんと、農民も自分を守るため武装するようになったのね。
こうやって、自警団ってものができていったんだ。
【武士団】 平安時代の後期の武装戦闘集団の事。
単なる自警団では烏合の衆だけどね。
下級貴族の武官が地方の治安維持の為に下向して、自警団を取り込み頭となったようだよ。
さらに規模が大きくなると、皇室関係の清和源氏や桓武平氏などが棟梁として治めるんだ。
彼らは、長弓を操り騎馬戦士として活躍、地域紛争の鎮圧を行っていたんだ。
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こうやってできた『武士団』の中で、特に大きかったのが、『平氏』と『源氏』。
後、後、「武士は偉い!」なんて時代になるけど、もともとは農民の自警団が始まりなんだ。
この『武士団』、「もともとは農民の自警団」って事で、朝廷の扱いもたいした事ない。
って言うか、バカにしてるって言うか、相手にしてもらって無いって言うか・・・
ところが、935年に『平将門の乱』、939年に『藤原純友の乱』ってのが起こる。
平将門は、千葉県で一族との間で縄張り争いをしてたんだけど。
ひょうんな事から、朝廷の役人と喧嘩しちゃうわけ。
平将門も「しまったぁ!」と思ったんじゃない。
でも、平将門は、謝るどころか開き直っちゃたね。
「俺も桓武天皇様の血をひく皇族の末裔だ。 こうなりゃ俺が天皇になる!」ってね。
実際に、『新皇』って名のって独立政府を立ち上げようとしたんだ。
面と向かって、天皇様に反抗するなんて珍しい人だ。
藤原純友も清和天皇様の末裔。
この人は、瀬戸内海で海賊のような事をしていた人だけど、やっぱり朝廷に反抗しちゃう。
この2つの乱を合わせて、『承平・天慶の乱』って言うんだ。
最終的には、平将門も藤原純友も負けちゃうんだけど、『武士』の強さが朝廷に見直されるわけ。
それで 『武士』は、御所や都のガードマンとして、活躍する事になるんだ。
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領民の武装が、集団になり、大きな武装集団となっていく。
武士団は戦のプロとなり、朝廷への反乱が起こる程になった。
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