平城京ができた奈良時代
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平城京ができた奈良時代

天智天皇』様の四女の『元明天皇』様が、奈良に都を造られたのが710年の事。
それが、『平城京』ね。
この都、そりゃ〜ぁ、素晴らしかった。

万葉集』って、歌集にもその素晴らしさが歌われているぐらいだから。。。
あおによし 奈良の都は咲く花の におうがごとく 今 さかりなり

何でも、唐の都『長安』をモデルに造ったらしい。
とにかく、『平城京』は、すごかった!

まず、皇居や役所がある平城宮があるでしょ。
そこから真正面に70m幅の道路がデ〜ンと通って、町は碁盤の目のように道路が走ってたんだ。
そんな 『平城宮』は、今では世界文化遺産。

平城京
なんとりっぱな(710年)平城京   大体こんな感じです。

だけど、そんな華やかさと違い、庶民の生活は苦しかったねぇ〜
庶民は、良民と賤民に分けられててね。
賤民には自由も無く、その中でも奴婢って呼ばれてる最下層の人は、人身売買もされてたんだ。

農村で働く農民も大変だった。
相変わらず、『租庸調』の重税に苦しんでいるし、『防人』の兵役にも行かなくちゃいけない。
まだ、東国では、竪穴式住居に住んでる人もいたらしいよ。

ここで、『万葉集』 に載っている、防人に行く庶民の歌を聞いてくれ。
父母が 頭掻き撫で 幸くあれて 言ひし言葉ぜ 忘れかねつる
唐衣 裾に取り付き 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母なしにして
(う〜ぅ・・・ 泣けてくる・・・)

どうです?
華やかな 『平城京』と反して、実際の庶民の生活は悲惨なもんだった。
じゃぁ、貴族は楽してたかって言うと、そうでもないんだな。
貴族は、貴族の辛さがあったんだ。

それは、要するに権力闘争ね。
上司に逆らって、首になるのはまだ良い方で、場合によっては処刑されたりしたし・・・
じゃぁ、上司に逆らわなければ良いかって、上司同士の権力闘争に巻き込まれる場合もあるし・・
どちらにしても、判断を間違えると、クビか、左遷か、処刑だ。


こんなんじゃ、庶民も働く気にならんでしょ。
だから、田んぼもだんだん荒れてきてね。
そんでも楽しみが無い分チョメチョメはお盛んで、人口だけは増えていく。
すると、庶民に分け与える『口分田』が足りなくなってきたんだ。

朝廷は、「荒地を開墾しろ!」なんて命令するが、そんな無駄働きは誰もしない。
税金を納めるだけでも大変だし、開墾しても庶民には何のメリットもないんだから・・・
だから、ちーっとも田んぼは増えないわけ。
(そりゃぁ、当然だわさ!)

そこで、朝廷は考えたね。
723年に『三世一身の法』って、法律を作くったんだ。
「開墾して田んぼにしたら、三世代は自分の物にして良い」ってものなんだけど・・・

でもね、鉄の農具もそんなに無い時代ですよ。
開墾するのは大変で、時間もかかるでしょ。

それに、三世代なんてアッという間に過ぎてしまうし。
だって、当時の寿命は短かったからね。
14歳、15歳ぐらいになったら結婚してたぐらいだ。
こんな時代だったから、三世代なんてすぐに終わっちゃうわけですよ。

三世一身の法』なんて作っても、まだまだ、庶民にとってメリットは少ないんだ。
結局、田んぼは増えていかないわなぁ〜

それならと、朝廷は20年後の743年に『墾田永年私財法』なんて法律をだしちゃった。
開墾した土地は、永久に自分のものにしても良いって法律ね。
「えぇ〜! 良いのかぁ!」「ホントに、開墾したら永久に自分の物にして良いのかぁ?!」
そんならって、庶民も頑張っちゃうよね。
開墾された田は輸租田とされ、納税の義務があったんだ。
開墾も進むし、税金も取れるし、なかなか考えた法律だ。

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都は、りっぱな平城京になったが、庶民の暮らしは厳しい。
貴族も権力闘争に明け暮れ、田畑は荒れ放題だ。
口分田も不足して、ついに朝廷は開墾地を増やすために様々な政策を出す事になる。
しかし、災いが続き朝廷は仏教にすがる事になる。   >>> 奈良の大仏さんで厄払い

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