唐の復讐に脅えた天智天皇
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唐の復讐に脅えた天智天皇

この頃、朝鮮半島に『百済』って国があって、日本と仲良くしてたんだ。
でも、この百済が、新羅と喧嘩しちゃってね。
唐は、新羅を応援しちゃうわけ。
結局、百済は、660年に中国の唐との連合軍に滅ぼされちゃた。

そこで、日本は、復活を目指してる百済の応援に行ったのね。
当然、戦争だわ。
これが、『白村江の戦い』(663年の事)

始めは、調子良かったんだよ。
「をっ! こりゃぁ、百済の復活なるんじゃないの?!」って思ってたんだけど・・・
唐も新羅も踏ん張ってね。
それに、肝心の百済が仲間割れなんか始めちゃったもんだから、結局、負けちゃうんだ。


中大兄皇子は、負けちゃったもんだから 「唐が復讐に来る!」って、脅えちゃって・・・
滋賀県の大津市ってところの内陸部に、都を遷しちゃたぐらい。
その大津で中大兄皇子は、『天智天皇』様になられたんだ。

でもね、都を大津に遷しただけじゃ『天智天皇』様は心配だったんだろうね。
大宰府に、『水城』っていう堀と土塁を作って、『防人』ってよばれる兵隊を配置したんだ。
さらに、山城の防御施設も各地に造られた。
よっぽど、唐の復讐が怖かったんだろうなぁ〜。


ついに、唐の復讐に脅えながら、『天智天皇』様が亡くなった。
すると、弟の『大海人皇子』様と息子の『大友皇子』様との喧嘩だ。
つまり、天皇の相続争い。

天智天皇様は、原則的に「直系で皇位を継承していくべきだ!」と考えてたのね。
だけど、弟の大海人皇子様は、反対なんだ。
だって、自分が天皇になれないじゃん。

それに、大友皇子様の母親は、地方豪族だったって事もあったからね。
「素姓の卑しい母を持つ子供に天皇を継がせるのはおかしい!」って主張してたんだ。

だから、叔父と甥の間柄だったけど、メッチャもめてね。
このもめ方が半端じゃない。
殺しあいの戦いをするんだから・・・

権力を持つためには、身内でも容赦ないもんね。
この時も戦だ。
672年に『壬申の乱』が起こる。
結局は、『大海人皇子』様が勝って、『天武天皇』様になられたんだ。


天武天皇様は、「今までの都はゲンが悪い!」とでも思ったんじゃない。
都を『飛鳥浄御原宮』(奈良県の明日香村)に遷したんだ。

それで、天武天皇様は、天智天皇様の娘と結婚してね。
彼女は、後に『持統天皇』様になるんだけど。

そして、『持統天皇』様は、『富本銭』って、初めての貨幣を造ったんだ。
他にも、奈良県の橿原市あたりに『藤原京』って、都も造ったんだよ。

それで、持統天皇様の息子が成人して『文武天皇』様になられたのね。
文武天皇様は、701年に『大宝律令』って、律令を制定したんだ。
律とは刑法で、令とは行政法の事ね。
これが、日本で初めての法律なんだ。

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百済を応援したばかりに、唐の復讐に脅える事になってしまった。
さらに、唐に脅えた天智天皇が亡くなると、いきなり跡目争いだ。
遷都も頻繁に行われ、初めての法律、大宝律令も生まれた。
そしてついに、見事な平城京での政治が始まる。   >>> 平城京ができた奈良時代

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