武士による鎌倉幕府の誕生
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いざっ!お金! って時に

武士による鎌倉幕府の誕生

さて、いよいよ、源頼朝は『征夷大将軍』になって、1192年に『鎌倉幕府』を開いた。
『government of the busi, by the busi, for the busi』
そう、『武士の、武士による、武士のための政治』が始まったんだ。

武士は、元々土地を守る自警団から来てるから、土地を中心に家来は奉公するようになるのね。
頼朝の家来は、『御家人』ってよばれてたんだよ。

幕府は、御家人に土地を与えたり守ったりしてね。
その代わり御家人は、役人として働いたり、何かあった時に幕府のために命がけで働くんだ。
これが『封建制度』って言われてるもの。

『鎌倉幕府』の組織は、けっこう単純だよ。
将軍の頼朝がTOPにいて、No.2の『執権』がいるでしょ。
その下に、御家人を取り締まる『侍所』があって。
幕府の財政を管理する『政所』があり、裁判する『問注所』があるって仕組み。

地方には、国ごとに御家人の責任者として『守護』を置き。
荘園を管理する『地頭』を配置したんだ。
基本的に、これだけ。 (単純でしょ。)


さあ、これで盤石な『鎌倉幕府』が出来上がったかと言うとそうでもない。
な〜んと、武士の統領である頼朝が、馬から落ちて亡くなってしまうわけ。
「えぇ〜? 得意の乗馬で、落馬するか?」
ってやっぱり、思うでしょ。
だから、暗殺・・・? て話もあるんだ。

幕府創始者の頼朝が亡くなったんで、その後を継いだのが息子の『源頼家』。
こいつ、御家人からの評判がすこぶる悪い。
適当って言うか、2代目のボンボンって言うか・・・
領土で御家人がモメてる時も、地図に線引いて「こっちがお前、そっちがお前」って分けてたらしい。

これじゃ、御家人は納得できないわなぁ〜
なんたって、命がけで手に入れた土地なんだから・・・
だから御家人たちは、頭にきてこの『頼家』を最後には追放しちゃうんだ。
(2代目のボンボンが、先代から仕事している社員に総スカンくうのと同じかな。)

この後、将軍についたのが、『頼家』の次男の『源実朝』。
「えっ? 長男は?」 って・・・。
長男は、すでに殺されちゃてたんだ。

この『実朝』ね、出家してお坊さんになってたんだけど、還俗させられて将軍になっちゃった。
この人、「俺が将軍になる!」って、手を挙げたわけじゃない。
嫌々、将軍にさせられたんだ。
兄貴が殺されたから、余計に嫌だったんだろうな。

それに、『実朝』って、武士の統領って性格じゃない。
馬に乗るより、和歌を作ってるのが好きだった。
体育会系じゃなく文化系の人だったんだ。

なんと、個人的に『金塊和歌集』って、歌集をだしている。
政治を行わずに、DVDを自主制作したようなもんだ。
だから、この人も御家人の評判はよくなかったみたい。

そんなこの人でも『右大臣』になっちゃった。
だから、そのお祝いに源氏の守り神である『鶴岡八幡宮』に参拝しに行ったのね。
1219年1月27日の事。
お参りを済ませて帰る時に、なんと、大銀杏の木に隠れていた公暁に暗殺されてしまったんだ。

こうなると、もう、将軍になる人がいないんだ。
で、ここでクローズアップされるのが、『執権』である北条氏。

なんたって、初代将軍の 『源頼朝』の奥さんが『北条政子』だったでしょ。
この政子さん、まだ、生きている。
初代将軍の奥さんだから影響力もすご〜くあったんだ。

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武士の武士による武士のための鎌倉幕府。
組織は単純だが、鎌倉幕府から武士の時代が続いていく事になる。
そして、執権の北条氏の全盛を迎える。   >>> 北条政子で幕府が復活

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