土器が出現する縄文時代
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蜆塚遺跡探索記
蜆塚遺跡探索記


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土器が出現する縄文時代

時代は進んで、氷河期の終わりがきちゃう。
1万2千年ぐらい前の事なんだけどね。
地球の気温が上がってね、海面が上昇しちゃったんだ。  (ものすごーい、温暖化だ!)
すると、日本と大陸の間に日本海が誕生してね、今の日本列島が出来ちゃった。

こんなすごい温暖化でしょ。
当然、環境は激変しちゃうわけ。
なんと、食料だったナウマンゾウやオオツノシカなんかの大型動物は、絶滅しちゃたんだ。
代わりに、イノシシやシカみたいな小ぶりの動物が増えてきたのね。

イノシシやシカは、ナウマンゾウなんかに比べて、かなりすばしっこいでしょ。
だから、当然、狩りのための武器も変わっちゃうわけ。
弓矢もその一つだよ。
なんと、犬を使っての狩猟も行われていたらしい。
(さすが、人間には、環境が変わっても生きていける知恵があるよねぇー)

石器も進化したんだよ。
せっせと石を磨いて、成形するようにしたんだ。
だって、単に砕いていても思い通りの形に割れないでしょ。
だから、磨いて思い通りの形にしたんだよ。
磨製石器』ってよんでるものがそれね。


縄文土器

それに、器ってものができたんだ。
縄文土器』って言われてるものがそれ。

土器を作った事で、生活が一変するんだよ。
だってね、水を溜めたり、食料を溜めたりって、
貯蔵って事が出来るようにるでしょ。

この『縄文土器』って、ただ土をこねて形成し、素焼きにしただけの簡単なもの。
ちょっと、分厚いくてもろいけど、それでも画期的な事だったんだ。

土器の表面を平らにするために、縄をコロコロ転がした後が残っているんだ。
縄目の後が残ってるから、縄文土器ね。

この 『縄文土器』のおかげで、始めて、貯蔵って事ができるようになったでしょ。
だから、彼らは以前のように、獲物を追いかけて移動しながら生活する必要がなくなったんだ。

浜松市にある蜆塚遺跡。縄文時代の遺跡です。 そこで、彼らは、定住する事にしました。
動物を追いかけての移動生活も大変だからねぇ〜
で、どうせ住むなら、やっぱり1戸建てでしょ。
(まあ、マンションなんてものも無いけど・・・)

洞窟じゃ、煙がこもっちゃたりするし、日当たりも風通しも悪いからね。

と、いうわけで、家を建てる事にしました。
それが、『竪穴住居』。
地面を掘り下げ、柱を建て、屋根をかけるだけ。

蜆塚遺跡。竪穴住居の内部も見れます。 蜆塚遺跡。復元の竪穴住居を見る事ができます。

どんなものか見たいんだったら、青森市にある 『三内丸山遺跡』 に、行ってみよう。
浜松市の蜆塚遺跡でも、今から約3,000年〜4,000年程前の縄文時代の遺跡を見る事ができるよ。

それでね、彼らは家を建てて、だんだん集落を作るようになってきたんだ。
集落は、多少大きくなったけど、まだ、基本的にみんな平等ですね。
リーダー的な人はいたけど、まだまだ権力者とまでは言えないでしょう。


蜆塚遺跡では、貝塚の地層断面を見る事ができます。 ところで、『貝塚』 って知ってる?
貝塚』って、彼らのゴミ捨て場なんだよ。
骨や貝殻、壊れた土器なんかを捨ててたんだ。

彼らにとっては恥ずかしいだろうなぁ〜。
でも、暮らし知るには、ゴミを漁るのが一番。
(あなたも捨てているゴミで、あなたの暮らしぶりが
バッチリ分かっちゃいますよ。)

何年も続く彼らのゴミは、地層までつくってる。
(この蜆塚遺跡では、貝塚の地層断面も見れるよ。)

東京にね、『大森貝塚』ってあるんだけど、そのゴミ捨場が日本で初めて見つかった貝塚なんだ。
それも、アメリカ人の『エドワード・シルベスタ・モース』が見つけちゃった。
彼は教師だったらしいけど、なんと、来日して2日目に見つけたそうだ。

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環境の変化があり、食料の動物も変化した。
それに合わせて、武器(磨製石器や弓)も進化した時代。
一番の特徴は、土器が誕生した事だろう。 土器が生まれた事により定住生活が始まる。
次は、稲作により画期的に進化する時代になる。   >>> 稲作で生活が変わる弥生時代

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