権力の象徴である古墳
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今城塚古墳探索記
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権力の象徴である古墳

大仙古墳(仁徳天皇の墓じゃないか?と言われてる)

そして、王は、でっかい墓を造るようになるんだ。
これは、権力の象徴として死ぬ前から作ったらしいよ。
「墓がでかけりゃ、庶民が尊敬して言う事を聞く」
なんて、王は思っていたからね。

今から1,700年ぐらい前の事ね。
この『古墳』作りは、7世紀ごろまで続くんだよ。

それで、『古墳』の形って、色々あるんだけどね。
一番人気が、丸い『円墳』。
前方後方墳』って形も人気かな。
中には四角い『方墳』なんてものもある。

なんと、全国に16万基以上もあるそうだ。

それで、「大阪府堺市大仙町」に、でっかい『前方後方墳』があるんだけどね。
今は、『大仙古墳』ってよばれてるけど、以前は『仁徳天皇稜』ってよばれてました。
(僕が学生の頃は、『仁徳天皇稜』って習ったなぁ〜)

何でも管轄している宮内庁が、『大仙古墳』を調べさせてくれないらしい。
だから本当に 「仁徳天皇」の墓か分かんないんだって・・・。
(もう、お役人はいつもこうなんだから・・・!)


使用人の代わりに埴輪を並べた

それで、古墳には、『埴輪』が並べてあるよね。
人物や家の形や動物なんか色々。。。

そもそも、王が死んだら殉死ってのがあってね。
「王が一人じゃ寂しいよ」なんて事で、なんと、使用人を一緒に埋めちゃってたらしい。

『邪馬台国』の卑弥呼の時なんか、100人もの使用人が生き埋めにされたらしい。
いくら使用人でも、そりゃぁ〜惨いわ。
だから、代わりに『埴輪』を埋葬するようになったそうだ。


そんな中、国は吸収合併を繰り返し、ついには『大和朝廷』ってバカでかい国ができちゃった。
大和(今の奈良県あたり)を中心に、南は九州、北は東北南部まで勢力を延ばしたんだ。

この『大和朝廷』、始めは各地の「王」の連合体で運営されてたのね。
そのうちに、王の中の王『大王』が、国を治めるようになったんだ。
歴代の大王のうち何人かは、中国にも挨拶に行ってるらしい。
なんと、『大和朝廷』は、朝鮮の高句麗新羅と戦争まで行った。

戦争したり挨拶に行ったりで、大陸との交流はあるじゃない。
そりゃぁ、大陸には、日本人よりも賢い人が沢山いるよね。
そんな賢い人が日本に来て、土木工事や織物など教えてくれたんだ。
日本人は、彼らを『渡来人』ってよんでた。

ココからは、僕の勝手な推測だが、この『渡来人』が神様として扱われたんじゃないかなぁ〜?
土木工事や織物など、新しい知識を教えてくれた人が亡くなり、尊敬され神様として崇められた。
一部の神社のご神体は、『渡来人』じゃないのかな?

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王の権力の象徴としての古墳。  各地に様々な古墳が作られる。
そして、国は集約され強大な国が誕生していく。  『大和朝廷』 がそれだ。
王は、大王となり天皇となっていく。
しかし、天皇を上回る権力者が現れた。   >>> 聖徳太子が大活躍

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