徳川を潰した戊辰戦争
さあ、武士が偉そうにかっ歩した時代は終わった。
今から、天皇様を中心にして、新しい時代の始まりだ。
とは言っても明治天皇様は、まだ中学生ぐらい。
実際は、周りの大人が政治を行う事になるんだけど、全て、天皇様の命令として発表されたんだ。
周りの大人達は、倒幕に活躍した薩摩藩や長州藩、土佐藩、肥後藩で占められていたのね。
なんて事ない、摂政政治と同じだ。
新政府は、明治天皇様をトップにして、薩摩と仲の良かった公家の岩倉具視や三条実美。
薩摩藩だった、西郷隆盛や大久保利通。
長州藩出身の木戸孝允(桂小五郎)や伊藤博文。
土佐藩からは、板垣退助や後藤像二郎。
肥前藩では、大隈重信。 などがメンバー。
そこで、まず新政府は、「天皇様が政治を行う時代になったんだぞ!」って宣言。
これが、『王政復古の大号令』。
ところで、新しい政府を作るのに、邪魔なものは古い体制でしょ。
徳川家なんて政権を返しただけだから、まだスゲー財力を持ってるわけ。
それに、慶喜は、自分の意思で政権を返したんだが、それに納得できない旗本達も沢山いたからね。
「この前まで、慶喜様にヘコヘコしてたくせに、なに威張ってんだ!」「薩摩藩が諸悪の根源だ!」ってね。
いつの時代も、新しい政権に納得できない人達がいるもんだ。
だから、新政府としちゃ、「徳川は目ざわりだ。 叩き潰さんといかん!」って思っていたわけ。
で、慶喜に、「徳川家が持ってる土地を明治政府に返せ!」って命令する事も考えていたんだ。
特に、西郷隆盛は、「徳川は、徹底的に叩かんといかんでごわす」と思ってた。
だから、薩摩藩は、江戸の町中を破壊したりして、「ほらほら、文句あるならかかって来んかい!」って、旧幕府の人達を挑発しちゃう。
これに、徳川の旗本や徳川幕府に親密な大名たちが、怒っちゃって「倒薩だ!」て声がでかくなってね。
もう、慶喜も抑えきれず「倒薩」の命令を出しちゃったんだ。
西郷隆盛にとって、思い通りの展開だ。
それで、会津藩や桑名藩、新撰組などは、「慶喜様の上京のお供」を名目に京都に向かったんだけど。。。
本当は京都を封鎖するのが目的ね。
だけど、京都に向かう途中の鳥羽街道は、すでに薩摩藩が封鎖してた。
京都を封鎖が目的の慶喜軍、徹底的に徳川を叩きたい薩摩藩。 当然、激突でしょ。
これが、『戊辰戦争』の初戦、1868年の『鳥羽・伏見の戦い』。
明治政府は、「待ってました!」と、これに応戦。
おまけに、明治天皇様から「慶喜追討令」まで受けたんだよ。
「天皇様の軍隊あるぞ!」って印の『錦の御旗』を掲げて、慶喜軍と戦うんだ。
こうなると、単に、慶喜軍と新政府軍の喧嘩じゃなくなるわけ。
慶喜軍は、完全に天皇様の敵。 朝敵になっちまった。
『錦の御旗』を見た慶喜軍の武士の多くは、「天皇様には刃向えない」って戦意喪失しちゃった。
だから、慶喜軍は『鳥羽・伏見の戦い』でボロ負けするんだ。
結局、慶喜は、船に乗って江戸まで逃げ帰っちゃったよ。
『錦の御旗』掲げた官軍は、調子づいて江戸まで討伐に向かった。
もう、江戸での両者激突は避けられない。
江戸の町が戦場になり、町民にも被害がおよぶ事も時間の問題だったが・・・
ここに、幕府側の軍艦奉行であった勝海舟が登場!
勝海舟は、西郷隆盛を説得したねぇ〜
「西郷さん、江戸で庶民を戦に巻き込んじゃいけねぇーよ」
「ヘタすりゃ外国の植民地になっちまうぜ」ってね。
西郷隆盛も調子づいてるだけのバカじゃないでしょ。
で、話し合いの結果、『江戸城の無血開城』を実現したんだ。
(なかなかできない事だ。勝海舟ってすごい人よ。)
まあ、勝海舟を暗殺しようとした坂本竜馬が、弟子になるぐらいだから相当の人物だったんだろう。
これで、江戸城は新政府の管理下に置かれる事になるんだ。
でも、旧幕府軍の中には、まだ、納得できない人が大勢いてね。
彼らは、会津に向かって行った。
会津の殿様、松平容保は元京都守護職で、完璧な佐幕派だったからね。
京都では、新撰組や京都見回り役を使って、薩摩藩士や長州藩士を殺しまくってたでしょ。
しかし、ヤッパリ勝ち目は無い。
会津藩士は、負け戦って分かってて戦ってたんだろうなぁ〜
もう、意地だけで戦ってたんじゃない。
会津戦で可哀想だったのは、15歳から17歳ぐらいの会津藩少年藩士の『白虎隊』。
彼らは、前線でさんざん戦って、飯盛山に逃げてきたんだけど、見下ろすと町が燃えている。
「あぁ〜、城が落ちた」って勘違いした彼らは、お互いを刺して自害したそうだ。
その時、まだ、彼らの城『鶴ヶ城』は、まだ落城していなかったんだけどね。
会津で敗れた旧幕府軍は、北海道の五稜郭まで逃げてきて、そこで、最後の決戦をする事になるんだ。
五稜郭で、新撰組の副長の土方歳三や幕府海軍の榎本武揚などは、官軍を迎え撃ったね。
でも、結局は、旧幕府軍は官軍に負けてしまった。
『戊辰戦争』は、これで終結。
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新政府ができ、まず行ったのが、古い体制の消滅だ。
鳥羽・伏見の戦いに始まった戊辰戦争は、徳川を叩き潰すための戦争だった。
鳥羽・伏見、江戸、会津、北海道と転戦し、徳川の勢力は消滅してしまう。
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