最後の内戦の西南戦争
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最後の内戦の西南戦争

こうやって、『遣欧使節団』が居ない間も居残り組は頑張ってたんだ。
この時、問題になったのが朝鮮の事。
朝鮮は、江戸時代の日本のように鎖国政策をとっていて、何度、国交を申し込んでも断られていたのね。
逆に、排日の機運が高まってきたぐらい。

で、板垣退助が、「朝鮮にいる日本人を保護せないかんぜよ。派兵せにゃいかんちや!」って言いだしてね。
これが、『征韓論』。
西郷隆盛は、「いきなり兵隊を送っちゃマズカでごわす。おいどんが大使として行きもそ」って主張して。
結論は、『遣欧使節団』が帰ってきてから決める事にしたんだ。

さあ、やっと『遣欧使節団』が帰ってきました。
先端の文明を見てきた彼らは、「朝鮮を攻める?!まだ、そんな国力じゃ無い!」って、頭ごなしに反対だ。
これに、板垣退助西郷隆盛は、
「おまんらが居ない間もおいどんらは頑張ってきたでごわす!そんな事も無視すっどか!」
って、この朝鮮問題で、板垣退助西郷隆盛も明治政府に不満を持ったまま政治家を辞めちゃうんだ。

それから、板垣退助は政治活動さ。
「おまんら明治政府は、薩長土肥の藩閥政治やいか! 国民から選挙で選ばれた人が政治するべきぜよ!」
って、『民選議院設立建白書』って意見書を出すんだ。
そして、国会の開催を目指して、『自由民権運動』を展開するようになったんだ。


一方、西郷さんは地元の鹿児島に帰って、じーっとしてたねぇ。
政治活動をする訳でもなし、地元の若い士族達と共に生活していたんだ。
でも、この若い士族達は政府に不満なんだわ。
廃藩置県を行うわ、徴兵制がはじまるわ、我らの西郷さんを追い出すわで、爆発寸前。

とどめは、「廃刀令」と「金録公債証書発行条例」。
これは、「刀はさすな!俸禄は与えん!」って士族達の特権を奪うものだったのね。
鹿児島だけでなく、各地で士族の反乱があったんだよ。

で、鹿児島では、ついに士族達が西郷さんに相談も無く、政府の武器庫を襲ってしまったわけ。
西郷さん、この報告を聞いて、「しかたなかとでごわす。一緒に戦うでごわす」と決意するんだ。
若い士族達のエネルギーに、西郷さんは不本意ながら巻き込まれちゃったんだね。

それで、「明治政府にもの申す!」と鹿児島から西郷軍が上京しようとしたが・・・
なんと、西郷軍が鹿児島を出て4日後には、明治政府から西郷軍の討伐の命令が出るんだ。
電信などの通信網の整備もできてたんだね。

西郷軍は、始めに政府の陸軍がいる熊本城へ向かっていったね。
鹿児島を出て6日後には、熊本城を包囲して総攻撃するんだけど熊本城はビクともしない。
西郷さんに「おいどんら加藤清正と戦ってるようでごわす」って言わせたぐらいだ。

結局、新政府の軍備には、さすがの薩摩隼人も叶わない。
薩摩に逃げ帰り、西郷さんが自害して『西南戦争』は終結。 1877年の事ね。
この『西南戦争』、日本で最後の内戦なんだよ。

一方、朝鮮の方は、日本海軍の艦船が、朝鮮の江華島あたりで砲撃される事件が起こってね。
日本軍は報復にでて、江華島を占領しちゃった。
結局、板垣退助西郷隆盛が、主張してたような軍事力で朝鮮を開国させちゃたんだ。
この時、幕末に日本が締結したような『日朝修交条規』を結んだんだよ。
「なんだそれ! あんなに反対してたくせに!」って、板垣退助西郷隆盛は思った事だろう。


板垣退助の方は、武力じゃ無く言論で戦ってたね。
まず、全国的な組織である『愛国党』を結成したんだ。
後の『国会期成同盟』ね。
国会期成同盟は、なんと、8万人以上の署名を集め「憲法を作れ! 国会を開け!」って要求。

政府は、役人の汚職事件もあって、これを無視できなくなっちゃった。
ついに、明治天皇様から『国会開設の詔』が発せられたんだ。
で、明治政府は、「10年後に国会を開きます」って約束しちゃうんだな。

こんな事があって、政府は、憲法制定と国会開催のために準備を始める事になったのね。
まず、伊藤博文をヨーロッパに派遣して、各国の憲法を調べさせた。
で、天皇制に最も合うのが、ドイツの憲法だったんだ。

ドイツの憲法を参考に日本流にアレンジして出来上がったのが、1889年に発布された『大日本帝国憲法』。
この憲法、天皇様が国民に与えるって形で発布された。
だから、『欽定憲法』っても言われてるんだ。

大日本帝国憲法』は、立憲君主制の憲法なのね。
最終的な全ての権限は、天皇様にあったって、天皇主権の憲法なんだ。
他にも、『統帥権』ってのがあって、陸軍・海軍を動かす権利も天皇様にあったんだよ。
国民は、『臣民』であり、天皇様の家来って事になっている。

ちょっとだけ、有名どころを抜粋。
【第1章『天皇』】
   第1条  「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」
   第2条  「皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」
   第3条  「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」
   ・・・・・

ところで、国会開催の準備も着々と進んで行ったね。
『内閣制度』が作られ、内閣総理大臣を中心に複数の大臣によって政治を行うようになったんだ。

初代の内閣総理大臣は、憲法発布に努力した伊藤博文
これに、外務・内務・大蔵・司法・文部・農商務・逓信・陸軍・海軍の各大臣が、内閣の構成メンバー。
天皇様のお世話をする宮内大臣もいたけど、内閣には参加してない。
でも、各大臣の顔ぶれは、相変わらず薩長中心なんだ。

さあ、憲法も内閣もできました。
そこで、第1回衆議院総選挙ね。
でも、選挙権があるのは、『国税を15円以上納めている25歳以上の男子』に限られててね。
だから、ほんの一握りの人だけが投票できたわけ。

それはともかく、この選挙で選ばれた議員により、『第1回帝国会議』の開催だ。
国会は二院制。
選挙で選ばれた『衆議院』と、貴族から選出された『貴族院』。
さあ、日本の近代化の始まりだ。

こうなると、幕末に井伊直弼が結んだ不平等な条約が問題になってくるわけ。
実際に、イギリスの客船が沈んだ事件があってね、船長はイギリス人は助けたが日本人は見殺しにしちゃった。
船長は裁判を受けたけど、『領事裁判権』によってイギリスの法律で裁かれるのね。
やっぱり、結果は、軽い罪で終わっちゃった。

「そんなバカな事があっちゃイカン!」って、日本はイギリスと交渉しちゃうんだ。
対ロシア政策で日本を味方にしたいイギリスは、ついに、『領事裁判権』を撤廃する事になったんだ。

こうやって近代化を着々と進め、日本は諸外国に追いついていくのであったー

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最後の内戦である西南戦争は終結した。
だが、板垣退助は言論で明治政府に立ち向かう。
ついには、大日本帝国憲法を制定させ、選挙により衆議院議員を選ぶまでになった。
力をつけた明治政府は中国・ロシアと戦争を行うまでになる。   >>> 大国の仲間入り日清戦争

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