大国の仲間入り日清戦争
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男のロマン**タミヤシリーズ

大国の仲間入り日清戦争

1894年に朝鮮で、農民による反乱『甲午農民戦争』ってのが起こったのね。
朝鮮政府はこれを抑える事ができずに、中国に応援をお願いしたんだ。
でも、日本は「中国が朝鮮に勢力を持つのはマズイんじゃない」って思っていたわけ。
朝鮮半島で中国の力が増すと、国防上不利になるからね。

で、日本は、「朝鮮の公使館を守る」って名目で朝鮮に派兵する事にしたんだ。
それで、『甲午農民戦争』が治まっても、日本も中国も一歩も撤退しない状態が続いてね。
ついに、双方の軍隊が衝突し、『日清戦争』が勃発したんだ。
軍備を近代化してた日本が戦いを優位に進め、ついには、中国を降伏させちゃった。

これには、欧米の列強国も驚いたねぇ〜
「マジっすかぁ!開国したばかり日本が、眠れる獅子に勝ったんスカ!日本も侮れんなぁ〜」
中国は、「眠れる獅子」って言われていて、本気を出した中国には何処も敵わないと思われていたからね。
それが、たかが30年ほど前に開国したばかりの日本に負けるなんて誰も思っちゃいない。
これをきっかけに、欧米の列強国は日本を見直すんだ。

そして、日本は中国と『下関条約』を結ぶ事になる。
 1.清は朝鮮の独立を認める事
 2.清は遼東半島を日本に譲り渡す事
 3.清は台湾を日本に譲り渡す事
 4.清は澎湖諸島を日本に譲り渡す事
 5.清は賠償金2億テール(9,000億円程度)を日本に支払う事
 ・・・・etc

下関条約』にある遼東半島は、欧米列強国にとっても色んな意味で戦略的に重要な場所だったのね。
だから、日本と中国とで交わした『下関条約』にクレームを付けてきた国があるんだ。
特にロシアね。

遼東半島(ココが遼東半島だよ)

ロシアは、冬は港が凍って船が停泊できない。
だから、『南下政策』をとって、冬でも凍らない港を求めてたんだ。
そんなロシアにとって、「遼東半島は日本のものです」って言われちゃ困るわけ。

それで、ロシアは、ドイツとフランスと一緒に「遼東半島は返せよ!」ってイチャモンだ。
ロシアとドイツとフランスと、三国の利害関係が一致した『三国干渉』だった。

日本にとっちゃ、いい迷惑なんだけど、三国を相手にして戦うまでの軍事力も国力もないでしょ。
「くそー、中国との条約にイチャモンつけんなよー!」って思っても受けざるおえないわけ。
こんな事があって、日本はロシアに対し、敵意を抱き警戒を強めていくようになっていくんだ。

その後、清からもらった賠償金の2億テールで八幡製鉄所を建設。
当然、ここで生産された鉄は、軍備増強に使われて行く事になるんだけど。


その後、中国で「外国の勢力は中国から出ていけ!」って運動が起こってね。
宗教団体の義和団が中心だったので、『義和団事件』って言われてる。
日本の幕末の『攘夷論』と、同じようなもんね。

で、清の実質的な権力者の『成太后』は、義和団を応援しちゃうわけ。
ついには、欧米列強国に宣戦布告しちゃったんだ。
こうなると、欧米諸国も応戦し、国元から応援部隊をよんでくるでしょ。
応援部隊により清はもう壊滅状態で、結局、敗けちゃった。
その結果が、『下関条約』よりももっと過酷な、『北京議定書』になったんだ。

そんな、どさくさに紛れて、ロシアは満州を占領しちまいやがった。
これには、日本・イギリス・アメリカがブーイングさ。
「おい、おい、どさくさに紛れて何してるん! そりゃ、ないぜ!」ってね。
それで、ロシアは、満州からシブシブ撤退したんだ。

日本としちゃ『三国干渉』のリベンジ。 ザマーミロ!
でも、これもあって、日本とロシアの関係は悪化するんだけどね。

ロシアに警戒心を強めた日本は、利害が一致するイギリスと『日英同盟』を結ぶ事になったんだ。
「どちらかの国が、1ヶ国と戦争する時は中立を守る事」
「どちらかの国が、2ヶ国以上と戦争する時は応援する事」って条約ね。
日本にとって、「ロシアと戦う時に、ロシアに応援がついたらイギリスが参戦してくれる」って心強い約束だ。


で、ついに、日本はロシアへ宣戦布告。
1904年、『日露戦争』の始まりだ。
でも、この時は、無闇に宣戦布告したんじゃないんだよ。
なんてったって、日本とロシアじゃ国力に10倍以上の差があるからね。
戦争を有利に進めて、条件の良い時に終結しようとしたんだ。
長期戦になると国力の差がものを言ってくるから・・・

日露戦争は、海軍による旅順への攻撃から始まるんだが失敗。
次は、陸軍により旅順のロシア要塞を攻める事にしたんだ。
大将は乃木希典
この戦いは壮絶を極めたね。
なんと、6万人もの戦死者を出したんだよ。
児玉源太郎が、203高地のロシアの要塞を落とした事をきっかけに、やっと、旅順の制圧に成功。

旅順を制圧され、旅順艦隊が壊滅したロシアは、ヨーロッパにいた世界最強のバルチック艦隊を向かわせた。
ついに、世界最強のバルチック艦隊と日本海軍との激突だ。
この時の連合艦隊の司令長官は東郷平八郎

東郷平八郎は、大型船のバルチック艦隊を狭い海峡に誘い込んで、1隻づつ攻撃して行ったのね。
東郷平八郎の作戦勝ちで、世界最強と言われたバルチック艦隊を撃破するんだ。
この日本海海戦は、世界中が「あっ!」と驚く出来事だった。

「この有利な状況がチャンス!」と、日本政府はアメリカのルーズベルト大統領に仲介をお願いしてね。
ロシアは、「負けてない!」と主張して交渉は難航したけど、日本も譲歩して講和条約が締結されたんだ。
これが、『ポーツマス条約』ね。

この『ポーツマス条約』、ロシア側の賠償金はないんだ。
代わりに、韓国への優越権・満州鉄道の一部・南樺太などを手に入れたんだけど・・・

しかし、日本国内じゃ、「ロシアに大勝したのに、なんて甘い条約だ!!」って怒っちゃってね。
で、怒った人々が、東京の日比谷に集まり暴動が始まったぐらいだ。
やっぱり、6万人もの戦死者を出しちゃったからなぁ〜
一時は、戒厳令まで出され、大変な状態になったんだよ。

そして、中国とロシアに勝った日本は、韓国の支配を急速に進めていったね。
韓国の首都に『韓国統監府』って、韓国支配のための役所を設置。
初代の統監は、あの伊藤博文ね。
しかし、反日化の韓国青年によって、伊藤博文は暗殺されてしまう事になっちゃう。

あ〜ぁ、伊藤博文は、韓国を合併する事に反対してた唯一の政治家だったのに・・・
やっぱり、伊藤博文が亡くなった事で、韓国を合併する話が急速に進んでしまったんだ。
ついに、1910年『日韓併合条約』が締結されて、韓国は日本の領土となった。

ここまで実績を残せば、日本はもう欧米列強と同等でしょ。
そこで、小村寿太郎の活躍により、アメリカに『関税自主権』を認めさせたんだ。
これで、やっと井伊直弼が結んだ不平等条約を完全に白紙に戻す事ができたねー

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「眠れる獅子」 の中国に勝ち、大国をあっと言わせた日本。
さらには、ロシアとの戦争にも勝ち、列強諸国の仲間入りだ。
その実力を背景に、日本は韓国の支配を強めていく事になる。
そんな中、ヨーロッパでは、各国を巻き込んで世界大戦が勃発する。   >>> 軍部の台頭と世界大戦

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