集落が集まり国になる弥生時代
リーダーの手腕によって、どうしても集落ごとに貧富の差ができちゃうでしょ。
だから、貧しい集落は、優秀なリーダーに「仲間に入れてよ」ってお願いする事もあったんだ。
力自慢のリーダーの中には、収穫時期を狙って他の集落を襲いに行ったりもしたのね。
初めて、狩りの道具を人に向けて使うようになったのもこの頃。
こんな吸収・合併が続いて、小さな集落は、だんだん大きな集落になっていった。
大きな集落は周りの集落を吸収し、さらに大きくなって、各地に『国』ってものが誕生したんだ。
集落をいくつも傘下に治めたリーダーは、ついには「俺は王だ!」なんて言いだしてね。
こんな事で、日本には、『国』ってものが、いっぱいできちゃた。
その国の数は、百以上もあったんだって。。。
中国の漢の時代の歴史書で、『漢書』ってのがあってね。
その『漢書』のある一章『地理志』って中に次のように書かれてる。
『夫れ楽浪海中に倭人有り。 分かれて百余国となる。』
(楽浪郡(北朝鮮あたり)の海の向こうに倭人(日本人)がいる。 百以上の国に分かれて暮らしている。)
それにね、王の中には、「中国に挨拶に行こうかなぁ〜?」なんて事を考えてた者もいたんだ。
やっぱり、中国の後ろ盾があると、ハクが付くからね。
実際に、いくつかの国の王が中国へ挨拶に行ってるんだよ。
九州の『奴国』の王もその一人。
中国まで挨拶に行って、『金印』を貰ってるんだよ。
それには、『漢委奴国王』って彫ってあったんだって。
(「かんのわのなのこくおう」 とでも読むのかな?)
つまり、「お前を漢の手下である倭国(日本)の中の奴国王を証明する」って事なんでしょう。
この金印については、「こんなの嘘だ!」「そんな事あるか!」って、ずぅ〜っと、もめてたらしい。
漢の『後漢書』東夷伝ってのに、「奴国王に金印をやったよ」って書いてあったのにね。
で、江戸時代に福岡の志賀島で、お百姓さんがみつけちゃうんだ。
そんな中、『邪馬台国』って言う、すげぇ〜でっかい国ができたんだ。
女の王様だったんだよ。 (女帝だ! 女帝!)
ご存じ、『卑弥呼』ね。
中国の『魏志』倭人伝に、「邪馬台国から挨拶に来た」って事も書かれてる。
それにしてもこの『邪馬台国』の場所なんだけど、今だにハッキリしてないんだよねぇ〜。
ご存知のように、今でも「九州にあった!」「近畿にあった!」ってもめてる。
明確な証拠が出ない限り、まだまだ、この争いは続きそうだ。
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国ができて、国どうしが協力して、または争って、一緒になり大きい国になる。
大きい国に小さい国が吸収され、さらに大きい国になる。
指導者は権力を持ち、身分の差はどんどん大きくなる。
そして、権力者は古墳というバカでかい墓まで作る。 >>> 権力の象徴、古墳時代
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