摂関政治で権力を握る
桓武天皇様が、なんやかや偉い政治を行っているのに、権力の亡者達が狙っているんだなぁ〜
覚えてる? 『藤原不比等』。
自分の娘を皇后にして、『長屋王の変』を起した人。
この藤原一族が、権力を狙っていたんだ。
そのやり方が・・・ 自分の娘を天皇様の奥さんにしてね、生まれた子供を天皇様にして・・・
そうすると、自分は天皇様の『おじいちゃん』って事になるでしょ。
おじいちゃんだから、天皇様も遠慮しちゃうじゃない。
それを良い事に、遠慮なく政治に口をだすんだ。
「俺は、天皇様のおじいさんだぞ。 俺の言う事を聞け!」てなもんだよ。
ほんで、調子づきやがった藤原氏は、『摂政』とか『関白』とかの位を獲得するわけ。
天皇様が子供だったり女子だったりすると、『摂政』として代わりに政治を行うんだ。
『関白』になれば、天皇様が大人の男子でも代わりに政治を行う事ができちゃう。
皇族でも無いのに、もう、やりたい放題なんだから・・・
権力を手に入れるために、娘まで利用するなんて・・・どうよ。
こんな、『摂政』と『関白』の政治が、『摂関政治』って言われてるものね。
こんなんじゃ、天皇様の出番はないでしょ。
しばらくは、藤原氏の思い通りになっちゃうんだ。
そんな中、『菅原道真』って賢い方がいてね。
菅原道真さんは、唐の政情が不安だったので、894年に『遣唐使』を廃止されたんだ。
決して身分は高く無かったけど、最後には、『右大臣』までなられたんだよ。
ところが、藤原氏は、菅原道真さんが怖くなったのか、嫉妬したのか知らないけど。
無い事、無い事、でっち上げちゃって、九州の『太宰府』に左遷させちゃった。
大宰府に赴任する時に、菅原道真さんが読んだ歌がこれ。
『東風吹かば にほいおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』
この歌を聞いた『梅の木』が、一晩にして大宰府に飛んで行ったって話だ。
大宰府天満宮の神殿の前に『飛梅』って梅の木がある。
それで、可哀想な事に菅原道真さん、大宰府に赴任して2年後に亡くなっちゃう。
そしたら、間もなく菅原道真さんを陥れた藤原時平が死んじゃたんだ。
その上、皇太子も次々と死んじゃってね。
皇居にカミナリまで落ちて、何人もの人が死んじゃった。
こりゃぁ、「菅原道真のたたりだ!!」って、朝廷も大慌てさ。
だから、朝廷は、菅原道真さんの恨みを鎮めるために、大阪に『北野天満宮』を建てたんだ。
天満宮は、雷の神様(天神様)であり、賢い道真さんにあやかって、学問の神様になったんだよ。
で、菅原道真さんが遣唐使を廃止されたでしょ。
今までは、何をするにも中国様式だったんだけど。
遣唐使を廃止しちゃったんで、最先端の中国文化をマネする事ができなくなったのね。
だから、日本独特の文化ができてきたんだ。
中国のマネじゃない、日本のオリジナリティな文化だ。
『国風文化』と言ってっるものがそれね。
毎日使っている『ひらがな』や『カタカナ』は、この頃にできた。
漢字が書けなくても、『ひらがな』や『カタカナ』で、何とかなるのはこの時代のおかげなんだ。
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策略、謀略をつくし、藤原氏の権力の掌握が続いている。
摂政や関白になり、天皇を凌ぐ勢いだ。
じゃまな、菅原道真も左遷の憂き目にあうようになるんだ。
そんな中、領地を守るために武士が現れ始める。 >>> 武士の始まりは自警団
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