驕れる平家も久しからず
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驕れる平家も久しからず

さて、これから、勢いを盛り返した平家と源氏との戦いが始まる。
あの有名な『源平合戦』ね。

まずは、兵庫県の『一の谷』での戦いから。
ここは海のそばにガケがあるところで、馬に乗って降りれるようなところじゃなかったんだ。
でも、義経は、強引にガケから降りて、平家に奇襲をかけてね。

「ありえへん! ありえへんよ義経さん! まさか、そんな所から攻め込んでくるなんて・・・」
まさか、ガケから降りてくると思っていなかった平家は、そりゃぁ大慌てさ。
もう、逃げるしかなかったもんね。
これで、『一の谷』での戦いは、奇襲をかけた義経の大勝利。

で、負けた平家は、四国で義経を迎え撃つ事にしたんだ。
今の香川県での事ね。

そう言えば、『扇の的』の話しってる?
平家側が、船上で扇をくっつけた竿を立てて、挑発してきた。
「やぁ〜い、この扇を射抜く事ができるかぁ〜? おまえらじゃ無理だろぉ〜」
「バカにするな! そんなの簡単だ! 源氏の名誉のためにも、絶対に射抜いてやる!」
で、源氏の弓の名人『那須与一』が見事に扇を射抜いたって話。

戦い前のデモンストレーションみたいなもんかな。
これで気落ちしたかどうかは知らないが、平家はこの四国での戦いも負けてしまう。

もう、後が無い平家は、水軍を集め『壇ノ浦』で最終決戦をするんだ。
戦場は、関門橋のすぐ下のあたり。
結局、平家はここでも負けて、滅亡してしまった。

それで、平家が都を出るとき『安徳天皇』様を連れ出していたんだけど。
この時、祖母であり清盛の奥さんである『二位尼』に抱きかかえられて入水するんだ。
安徳天皇』様は、天皇じゃあるけど、まだ8歳だったんだよ。


その後、源頼朝は『征夷大将軍』になって、1192年に『鎌倉幕府』を開く事になるのね。

その前に、ちょっと悲しいお知らせがありまーす。
平家を滅亡に追いやった『源義経』、普通なら完全にMVPでしょ。
でも、「天皇様から勝手に位を貰った」ってとがめられて、頼朝から追われちゃうわけ。

覚えてる?  石橋山の合戦でコテンパンにやられた時に頼朝を見逃してくれた『梶原景時
頼朝は、この時の恩を感じて、梶原景時をとても大事にしたそうだ。
でも、義経と、この梶原景時と、とっても仲が悪かったらしい。
その影響で、頼朝が義経に冷たくしちゃったみたいだ。

義経は、頼朝に「許してくれよ」って手紙を書くんだけど、許してもらえなかったのね。
しかたないので、以前に匿ってくれた奥州平泉の藤原氏を頼って行ったんだ。

奥州藤原の前の当主は野心家で、「義経を将軍にして、頼朝と戦え!」って遺言するだけど・・・
息子は小心者で、頼朝が怖くて義経を襲っってしまった。
匿ってもらいたくて行ったのに、逆に襲われちゃったらどうしようもないでしょ。

義経は、この時、火をかけて自害したと言われているんだけど。。。
でも、この戦いには生き延びて、大陸に渡って『チンギス=ハン』になったって話もあるんだ。

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驕れる平家も久しからず。
平家の天下も源氏により打ち倒されてしまう。
頼朝は、初めて武士による幕府を開設する事になる。   >>> 武士による鎌倉幕府

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