幕府の地固めと鎖国
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幕府の地固めと鎖国

豊臣家を完全に滅ぼした家康に、もう天下を掌握するため妨げになる者はいない。
一様、豊臣家の残党を心配して、大阪城には『大阪城代』を置いたんだけど。

後は、徳川家を後々まで万全にする事しか、家康としては考えてないんだ。
だから、大名に対しては『武家諸法度』、朝廷に対しては『禁中並公家諸法度』を出すんだ。

それぞれに対して、命令や禁止事項が書かれている法律ね。
禁中並公家諸法度』は、天皇様がいる朝廷をも取り締まる法律なんだよ。
もう、これで、朝廷も勝手な事ができなくなり、幕府には逆らえなくなってしまった。


さて、さて、戦乱を生き抜いた家康も75歳で亡くなった。
すでに二代目の将軍になってる秀忠は親父の影響が大きくて目立たないけど、三代目は目立ってるね。
三代目は、徳川家光だ。

実は、家光は秀忠の長男だったんだけど、秀忠夫婦は弟の国松の方が可愛くしかたなかったんんだ。
家光は、それが悔しくて、悲しくて、自害しようとした程なんだよ。

そこで、乳母であったお福(春日局)が、自害しようとする家光を引き留めて、駿府の家康に直談判。
「家光様は秀忠様のご長男。当然、将軍になられるお方。家康様の口からハッキリ宣言して下さい。」
この働きもあってか、家光は、無事に三代目となれたんだ。

あっ、このお福(春日局)の生い立ちは面白い。
もともと、山崎の合戦で秀吉に敗れた明智光秀の家臣、斎藤利三の娘だったんだ。

それが、最後には、天皇から従二位の官位を貰う事になるんだよ。
従二位って、北条政子と同じ身分。
家光の力を背景にして、老中も手が出せない『大奥』で権力を振るう事になるんだ。
敗戦者の娘が、昇りつめたもんだよ。

ところで、将軍になった家光は、強気の政治を始めちゃう。
「俺は、爺さんや親父と違って、生まれながらの将軍だ! お前ら大名とは身分が違うんじゃ!」
って、言ったとか、言わないとか。
どちらにしても、幕府の支配を完璧にしたのは家光だった。

武家諸法度』に『参勤交代』の制度を付けたし、大名の財力を削ぐようにしたんだ。
「大名の奥さんは、江戸に置け」要するに徳川への人質ね。
「そして、大名は領地と江戸と1年毎に、行ったり来たりしろ」って、ものさ。

参勤交代の様子

大名に厳しかった家光だけど、農民にも厳しかったなぁ〜
慶安の御触書』がそれね。

「農民は、朝早く起きて草刈りをしろ。 昼は田畑を耕せ。 夜は縄や俵をあんで、1日中仕事しろ」
「麦や粟や稗を食え。 米は食うな。 麻と木綿以外着るな。 絹とか着ちゃいかん。」
「酒、たばこ、お茶なんか飲むな。 美人でも贅沢する嫁は追い出せ ・・・・etc」
(ひゃぁ〜、何を楽しみに生きていけば良いんだろう???  無茶言うぜ!)

他にも、『士農工商』って、身分制度ね。
一番偉いのは武士。 苗字帯刀。 苗字もあれば刀も差して良い。 偉そうに振舞って良いって事だ。
次に、食料を作る農民。 その次に物を作る職人。
最後は、物を作らず右から左に流すだけの商人は、身分が一番下なんだ。

でも、実際は、お金を溜め動かす商人の財力には敵わないでしょ。
武士でもお金を借りに頭を下げたもんだ。

やっぱり、一番大変だったのは農民だったねぇ〜。
「五公五民」「四公六民」って、収穫の50%・40%が税金(年貢)。
田畑の自由な売り買いもできず、移動もできず、米以外の作物も自由に作れなかったんだよ。

百姓の中にも、上下関係があってね。
土地持ちの百姓が、『本百姓』。 土地を持たない百姓は、『水のみ百姓』って言われた。
百姓の中でも裕福な家は、名主(庄屋)や組頭、百姓代など三役になり、年貢の徴収などしてたんだ。

他にも、『五人組』って制度があって。
五家族が1チームになるのね。 「何のためか?」って・・・?
罪人がでたり、年貢を納められなかったりすると、このチームに責任を負わせるんだ。
要するに連帯責任ね。
だから、お互いに監視し合うようになるでしょ。
(恐ろしいシステムだ。)

まだ、まだ、身分の格差ってあるんだ。
『えた』『ひにん』がそれね。

動物を殺して、革製品の材料を作ってる人たちが『穢多』って呼ばれていた。
仏教では、殺生を禁止してたからね。
穢れが多い人達って事なんだ。

最下層の人が、『非人』。
もう、人間じゃ無いって事。
犯罪者やその家族が、「ひにん」だった。
犯罪者って、人殺しや泥棒だけじゃ無い、政治犯も犯罪者さ。
役人に逆らったり、文句言っただけで、政治犯同様に扱われていたから、文句1つ言えないでしょ。

生活に苦しい百姓でも、「わしら、えた・ひにんよりマシじゃ」って思い込まされる環境だったんだ。
この差別を行う事で、幕府や武士に対しての不満を逸らしていたんだ。


でも、いくら『五人組』があろうとも、あんまり虐げられると爆発する時があるよね。
で、長崎の島原で、農民の爆発(一揆)があった。
1637年の『島原の乱』がそれ。

島原藩と唐津藩にまたがった島原・天草地域の農民が、重税や酷使に耐えかねてブチ切れたね。
当然、島原藩と唐津藩は、鎮圧に向かったんだが。
でも、全然、歯が立たないでやんの。
戦も久しく無かったし、威張ってるだけで、根性もないナマクラ武士が多くなってたからね。

幕府も「何やってんだ! 百姓に武士が負けてどうすんだよ! もう、しゃぁ〜ないなぁ〜」
って、九州の各大名に、「鎮圧しろ」って命令をだして討伐に力を入れたんだけど。
ついに、武士が全力で攻めにきたね。
でも、一揆軍が立て篭もった島原城は落ちない。

幕府もメンツがあるから、さらに増援を送る事にしたんだ。
討伐軍は膨れ上がって12万人程度。
対して、一揆軍は37,000人程度。
もう、武士のメンツ丸つぶれだ。

最後は、オランダの軍艦から大砲を打ち込んでもらって、ようやく一揆を鎮圧したありさまだ。
威張ってたくせに、情けない話だ。

長崎は、南蛮貿易の拠点でしょ。
外人と触れ合う事も多いし、キリスト教徒もが多かったからね。

島原の乱』に参加している農民の多くもキリスト教だったんだ。
リーダーは、益田四郎時貞(天草四郎)って子供だ。
彼ももちろんキリスト教。
益田四郎時貞は、まだ子供だったけど、すげぇ〜カリスマ性があったんだ。

島原の乱』の事があって、幕府は、キリスト教による団結力と盲信的な信者が、怖くなったんだ。
おまけに、将軍様より偉い神様がいたら困るしね。
なんで、幕府は、キリスト教を禁止にして、信者を弾圧するようになったんだよ。
それに、「だいたい、外人がウロウロしてるからこんな事になる」って、鎖国も考えていくんだ。

弾圧は厳しかったね。
島原の乱』で、スンナリ勝てなかったハライセもあると思うけど。
キリスト信者を見つけては、「キリスト教なんて止めてしまえ!」って拷問か処刑だ。
信者を探し出すのに、キリストやマリアの像を踏ませたりしたんだ。
『踏み絵』っていうやつね。

それでも不安な幕府は、『寺請制度』ってのも始めたんだよ。 
必ず、何処かのお寺の檀家にならないといけないって制度。
これが、キリスト教じゃありませんって証明になったんだ。

で、ついに幕府は、1639年に鎖国する事に決めたんだ。
かろうじて、中国と朝鮮とオランダだけ、特別に長崎の『出島』で貿易する事が認められただけ。
これで、外敵を完全にシャットアウトしてしまったんだ。

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幕府の権力をさらに強固なものにしたのが、三代目の家光。
参勤交代・慶安の御触書と、大名にも農民にも厳しいものばかりだった。
しかし、厳しい政策は、島原の乱という農民の反抗に会う。
だから、厳しいだけじゃダメだと、文治政治と転換をはかっていく。  >>> 武断政治から文治政治へ

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