暴れん坊将軍 吉宗
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暴れん坊将軍 吉宗

激しい選挙運動の末に、八代目になった徳川吉宗
彼が、ご存じ『暴れん坊将軍』。
(時代劇に関心がない方は、ご存知では無いかもしれないけれど・・・)
吉宗は、政治の実権を握っていた新井白石をクビにして、自分で政治を行うようにしたんだ。
なかなかの善政を行ったらしいよ。

その頃の幕府の財政は、大赤字でね。
「この赤字をどげんかせにゃあかん!」って思った吉宗は、新田の開発を積極的に行ったんだ。
それに、『上米の制』って言って、各大名から一万石毎に百石の割合で米を徴収。
まあ、当然、「増税反対!」って事になるわけだけど。。。
そこは、「まあ、まあ、その代わり、参勤交代の江戸在住期間を短くするから。」って事で納得させたんだ。

新田開拓や上米の制なんかで、米に熱心だったから徳川吉宗は、『米公方』とも呼ばれている。

他にも、『足高の制』っていって、有能な人材確保に努める制度も始めた。
石高が不足して役職につけなかった優秀な人に、在任中だけ給料を上増しして支給するってものなんだけどね。
あの有名な 南町奉行所『大岡越前』も足高の制で、吉宗に採用された一人なんだ。

他にも、庶民の声を直接聞くための『目安箱』を設置してね。
まあ、将軍への直通メールみたいなもんかな。
これによって、庶民のための『町火消し』や『小石川養生所』ができたんだ。
今で言う、消防団や綜合病院のようなものを作ったわけ。

それから、裁判のスピード化のために、『公事方御定書』も制定したんだよ。
「こんな時は死刑。 こんな事は島流し。」って、判例集みたいなもんね。


こんな風に、政策を次から次へ出してきた吉宗だったが、偉かったのはそれだけじゃなかったねぇ〜
将軍自信が質素倹約に努めたんだ。
将軍なのに普段から木綿の服を着て、絹の服を着てる家臣や大名には返事もしなかったそうだ。
「質素倹約の時代に、お前は何故、贅沢な絹の服を着てるんだ!」ってな感じで、ジーっと見られたそうだ。

メシは1日2食。  献立も一汁三菜。
家継の葬儀も慣例をやぶって、質素なものにしたそうだ。
大奥も多くの使用人を親元に帰し、リストラを行ったりしてるんだ。

それから、それから、鎖国で禁止していた洋書も一部解禁。
だから、西洋を学ぶ『蘭学』が大流行したんだ。
オランダの医者のシーボルトなんか、『鳴滝塾』ってのを開いて、多くの蘭学者を育てたんだよ。

杉田玄白前野良沢らは、オランダの人体解剖書を基に、『解体新書』を発刊してね。
おかげで、医学が大きく進歩する事になったんだ。

他にも、吉宗は、将軍家の血筋が絶えないようにと、御三家の他に『御三卿』ってのを作ったわけ。
将軍家に後継ぎがいなかった場合、御三家か御三卿から将軍を出せるって事にしたのね。
田安家・一橋家・清水家 がその御三卿
御三家みたいに藩として自主独立しているわけじゃなく、幕府の直接管理にしてるんだ。
「最近、御三家とは言っても、縁遠くなってきたから将軍家の血筋が絶えちゃ大変だ」って思ったんじゃない。

ブス線
こんなに善政を行った吉宗でも、やっぱり人間だから何から何まで完璧ってわけじゃないんだ。
この吉宗さん、かなりのブス線だったらしいよ。
鷹狩で外出した時に、ブッサイクで嫁の行き手がいない娘に一目惚れして側室にしたって話も...
大奥の人員整理の時も、美人はクビで、ブスは残すって事もしてたらしい。
(こりゃぁ、本物のブス線だ!)
こんな話聞くと、人間味に溢れるねぇ〜

で、将軍職を長男の家重に譲る事にしたんだけど、この家重、言葉がハッキリ喋れない。
何言ってるか分からないから、将軍の命令が???
それに、よくオモラシしてたらしい。
だから家重は、『小便公方』なんて言われてる。

こんなんだから、「後継ぎは、弟の宗武様にしてはどうです」って話もあったらしいけど。
でも、吉宗は、「ダメ。ダメ。 弟を後継ぎにすると後々問題が起きる」って将軍職を家重に譲ったんだ。
その代わり、自分は『大御所』になって死ぬまでサポートする事にしたそうだ。

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幕府の財政難の改革に乗り出した吉宗。
次々と改革を行い、善政を行っていく。 享保の改革といわれてるものだ。
だけど、自然は容赦なく襲い、飢饉を招く。   >>> 飢饉と改革

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