尾張の中心地であり、織田信長の居城として有名な清洲城

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清洲城 (愛知)

清洲城は、1405年に尾張・遠江・越前守護の斯波義重によって築城されました。
以後、守護代の織田大和守家の居城として、織田家の本城として存在してきました。

1555年に織田信長と組んだ織田信光によって、守護代の織田信友が殺害されます。
これにより織田家の当主となった信長は、那古野城から清洲城へ移り住みます。

この清洲城は、戦国史の色々な場面で登場してきます。

信長が桶狭間の戦いに出陣したのも清洲城からです。
信長と徳川家康との同盟が結ばれたのも、この城です。
本能寺の変で信長がたおれ、後継ぎをめぐって清洲会議が行われたのも、この清洲城です。
1600年の関ヶ原の戦いの時には、東軍の集結地、後方拠点として利用されました。

1609年、徳川家康によって清須から名古屋への遷府が指令されます。
清須城下町は名古屋城下に移転され(清洲越し)、清須城も名古屋城築城の際の資材として利用されました。
(名古屋城御深井丸西北隅櫓は清須城天守の資材を転用して作られたため「清須櫓」とも呼ばれています)
この名古屋城の築城により、清洲城は廃城となりました。

現在の天守は、本来あった本丸に隣接する地域に建設された模擬天守です。
本来の天守があった場所ではありません。
なんか、歴史を塗り替えているようで・・・。  僕的にはどうも・・・・



清洲城探索記

清洲城探索記

織田信長が天下統一を目指して歩み出した出発点である清洲城へ行ってきました。

東京方面へ向かう新幹線から、名古屋駅に着く少し前に左手に見えていた天守。 この天守を見かけたすぐ直後に、名古屋に着く旨の社内アナウンスが流れる。
前から少し気にはなっていたんだよね。

この日は、車で訪問。
もーぉ、駐車場が、分かりずらい。 くねくね回って着く。
まあ、無料だったから良いけどさ。

早速、「天守に向かうぞ」 と、公園内を歩いていると、そこに小高い台地があって石碑が建っている。
「どうせ、歌人の碑とか、慰霊碑なんだろう」 なんて、思ったんだけど、ちょっと立ち寄る事に。
ところがですよ。 ななな〜んと、『右大臣織田信長公古城跡』 の文字が・・・。
「えっ! 今の天守って、本来と違う場所に建ってるんだ!」

なんと『右大臣織田信長公古城跡』の碑が!

いけません! いけません!
まあ、色々と事情があったのでしょうが・・・
早くも興ざめ。

気を取り直して、五条川に出ると、朱塗りの欄干が。
ちょっと、ハデじゃない?!
その向こうにきらびやかな天守が見えます。

橋を渡る前に、『清洲城の石垣』 を見ておきましょう。
軟弱な地盤に耐えられるように松の木で、『梯子胴木』 と言う基礎を作り、その上に石垣を築いた構造です。

当時の面影を残す唯一のものです。

目立つ朱塗りの欄干

さて、では朱塗りの欄干が目立つ橋を渡り、模擬天守へ向かいましょう。
清洲城の模擬天守を写すなら、この欄干も一緒にね。
黒と白の天守に、朱色が良く映えます。
まあ、余計なお世話ですが・・・

橋を渡ると門の所に、『清洲城』 の石碑が。
門を潜ると、その模擬天守の全貌が見れます。
三層の天守は、それなりの迫力があります。

左手は書院。
この書院は『清洲越し』の際、清洲城内から名古屋城本丸御殿に移築されたと伝わる黒木書院を再現したものだそうです。

天守前には、白い玉砂利に巨石が置かれ、枯山水の趣きが。
























日本三代塀の一つ『信長塀』

門に続く、『信長塀』 もしっかりと見ておきましょう。
信長が、桶狭間の戦勝祈願した熱田神宮へ、勝利のお礼に奉納した塀をモデルに作られています。

何層にも重なった瓦が、風情を感じさせます。
ちなみに、三十三間堂の太閤塀。 西宮神社の大練塀。 と並び、日本三代塀の一つといわれています。

本物は、熱田神宮の本殿の手前にあります。
時間があれば、そちらもどうぞ。

さて、清洲公園内にある 『信長像』 を見に行く事に。
今の清洲城の本丸跡は、JRによって分断されています。
何故そんな事になってしまったのか・・・

天守閣再建の際も本来の位置に再建しようとしたそうだ。
でも、天守閣ギリギリまでJRの線路が迫っいて、「こりゃ無理だ!」 って事になったそうだ。
だから、五条川の向こうに再建したとの事です。

JRのおかげで、以前の本丸が2分割され、新たに模擬天守の区域ができ、今の清洲城は3分割されている。

『信長像』 もJR線を潜った向こう側にあります。
橋を戻り、五条川に沿ってJR線を潜ると、向こう側の清洲公園に信長公の像は立っている。
高い台座の上に立っている信長公は、「表情が良く分からない」

清洲城に戦国当時の匂いを感じる事はできません。
朱色の橋に、派手な天守。
全てが、造られた感があります。
戦国史に重要な場面で登場した清洲城なのですが・・・

お城フアンの方には、気落ちするお城でしょう。
有名な清洲城ですが、ちょっと残念。

まあ、観光地の1つ思えば良いのかもしれない。








清洲城へのアクセス&見学料

清洲城へのアクセス&見学料 【見学料】
 ・大人 300円
 ・小学生・中学生 150円
 

【時間】
 9:00〜16:30(入城は16:15まで)
 休館日:月曜日
 

【アクセス】
 名鉄名古屋本線 「新清洲駅」 徒歩15分
 JR東海道本線 「清洲駅」 徒歩15分
 東海交通事業  「星の宮駅」徒歩20分






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