織田信長に謀反を起こした荒木村重の居城である有岡城

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有岡城(伊丹城) (兵庫)

1574年に織田信長の武将である荒木村重が、伊丹氏を破って入城し、『有岡城』 と改名した城です。
有岡城は、城下町全体を土塁で囲み、北・西・南に砦を配置した 『総構(そうがまえ)』 の城でした。

村重は、入城して4年後に信長に対し謀反を起します。
一度は、明智光秀に説得され安土城へ向かうのですが、信長の性格を考え有岡城に戻ってきます。
秀吉は、荒木村重と仲の良かった黒田孝高を説得に行かせたのですが、逆に土牢に監禁されてしまいました。
その結果、信長の大軍に包囲され約10ヵ月間に渡って攻防戦の末、落城したのです。

現在は、一部の土塁や石垣、建物跡や井戸跡が残るのみです。
有岡城は、JR宝塚線の伊丹駅のすぐ西側にあり、人通りが多い割には気にも止められない感があります。
450年程前に、ここで約10ヵ月間に渡った 「有岡城の戦い」 があった事など誰も感じていないでしょう。
有岡城は、現代の町並みから取り残された風にも見えました。



有岡城(伊丹城)探索記

JR伊丹駅の改札を抜け、西出口より駅前の道をまたぐように歩道橋が設置されています。 東出口からは、すぐ目の前にあるイオンモールへの道が続いています。
駅へ、イオンモールへと、それなりに人通りがある場所に、忘れられたようにあるのが有岡城跡です。

西出口からの歩道橋を渡ると、カリヨン広場と名付けられた小さな広場なっています。 「フランドルの鐘」 と呼ばれている塔が目に着きます。
この広場の右側に、イオンモールへ続く歩道橋を挟んで見えまるのが 『有岡城跡』 です。

「堀や大手門があって、天守閣がそびえてる」 なんて想像されるのでしたら期待はづれ。
どうみても後から造った風の石垣。 現代風の階段。
上に登れば、何も無い小さい広場のようです。

城の面影があるとすれば、北西角にある石垣とそれに続く土塁跡ぐらいでしょうか。
天守閣や櫓などの建築物はありません。
有岡城の周りは、人が絶えず歩いているのに、この天主台に誰一人いないのが印象的でした。
(子供ぐらい遊んでいても可笑しくないのですが・・・)

450年程前に、信長軍と荒木軍と10ヶ月にわたり攻防戦があった場所とは思えません。
カリヨン広場に立てられている案内板でも読まないと誰も気づかない事でしょう。

南西の隅には、建物が建っていた礎石があります。
天守閣があったのか、屋敷があったのか分かりません。
どちらにしても大きな建物では無いようです。

他にも、井戸の跡が2か所。
埋め戻されていて、井戸の深さまでは分かりませんが、籠城しても水の心配はなさそうです。

arioka07.jpg(14831 byte)

鉄道の開通のため、東側台地が削られ今は小さな台地になってますが、当時は広い天主台だった事でしょう。
総構の有岡城でしたが、今は主郭部の一部が残るだけの状態です。
今は、台地をぐるりと回っても5分ぐらい。

信長に謀反した荒木村重の居城だったので、興味を魅かれて行ったのですが、ちょっと期待はづれだったかな。
この有岡城跡は、周辺の整備された町並みから取り残された台地のようでした。
まあ、これも、時代なんでしょうね。



有岡城(伊丹城)へのアクセス&見学料

【見学料】
 無料


【時間】
 時間制限なし


【アクセス】
 JR宝塚線「伊丹駅」 西出口すぐ
  

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